MS MVP Award を最初に受賞したのが 2006 年だったので、5年連続受賞記念に「5Years」と書かれたリングが届きました
副賞が 2009 年からトロフィになったのですが、こいつがガラス製でかなりの重量があるので通称鈍器とも言われていますw
2010 年から、リングを積み上げる様式に変更となり、MS さんもエコ路線に?
先月のひとりごとに軽く書いたのですが、5/28-29 にかけて津波で壊滅的なダメージを受けた岩手県の陸前高田にボランティアに行ってきました。
友人がやっている NPO が被災された方とボランティアセンターの方にお茶とお香を楽しんでいただいて、心の潤いを少しでも取り戻して頂こうって趣旨のボランティアに行くので、その手伝いです。
被災状況の大半の写真は Picasa にアップロードしていますので、そちらを見てください。GPS で地図マッチングしていますのでマップ表示で見ていただくと、広範囲に及ぶ被災状況が良くわかるかと思います。
被災中心地で 360 度の写真を撮影して、Microsoft
ICE でパノラマ写真に加工しましたが、ウチのサイトでうまく公開が出来なかったので
Microsoft Photosynth にアップロードしました。
余談ですが、ICE から Photosynth へは直接アップロードできたりします。
集合場所の友人宅(神奈川県磯子区)を出発したのが、5/28 23:50 頃で、東北道をひたすら北上。一関 IC から一般道を走り、被災地に入ったのが 5/29 8:00 頃なので、約8時間の行程です。運転手交代をしながらなので食事とトイレ休憩以外はほぼノンストップ。
大谷 PA 2:18 |
夜も白々と明けはじめ 天候は雨 4:17 |
菅生 PA 4:37 |
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ありがとう自衛隊饅頭 何でも饅頭になるのね |
朝飯 | 金成 PA 6:08 この先の一関で一般道に入るので現地で使用する水をポリタンクへ |
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「かんなり」だったのね(違う読み方をしていたのは内緒w) |
一般道に入って一関を走っていると、瓦が落ちている家とか、壁にひびが入っている建物が所々に見受けられますが、そんなに大きな被害になっていないようです。
田んぼが地割れでダメになったってニュースが流れていましたが、一関から陸前高田に入るまでに見た田んぼは全て田植えが終わっており、そんなに酷い事にはなっていないようでした。
東京都医療救護の車 | この辺りの田んぼは無事のようです | ドラゴンレール大船渡線の鉄橋 この先で待っている惨状はこの時全く予想していませんでした |
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どこの田んぼも田植えが終わっていますね | 岩手県警のミニパト 復興支援の重機を乗せたトレーラーが先頭を走っていてノロノロ運転中 |
被災地に差し掛かると、これまでののどかな風景は一変して瓦礫が目立ってきました。中心地は目を覆いたくなるような惨状です
話を聞くと、この状態でもかなり片付いたそうです。片付いたと言っても瓦礫が撤去されたわけではなく、道路が通行できるように瓦礫をよけた程度です。
川の駅でお話を聞くと、この辺りの建物にはほとんど被害は出ていないのですが、中心地で津波にのみこまれて行方不明の方が多くいらっしゃるそうです。
ボランティアの目的である避難所に向けて移動開始
津波に襲われた所は見るも無残な事に | まるでスクラップ置き場 | どこを見ても瓦礫の海 | |||
首都圏から警察機構も応援に | |||||
復興の湯 |
中心地に入って視界が開けてくると、この世のものとは思えない惨状が目に飛び込んできます。
阪神淡路大震災の後に兵庫県の長田に行ったのですが、あれを大規模広範囲にしたって感じです。津波被災したのはここ陸前高田だけではなく、太平洋沿岸が同様の打撃を受けていると思うと何とも言葉になりません。
通常兵器ではここまでの破壊はできないので、核攻撃に匹敵する破壊力で街が消えてしまったって感じです
ありとあらゆるものが破壊されています | 形ある物の大半が瓦礫と化しています | 何と表現していいのか言葉が見つかりません | |||
跨線橋から下を見下ろすと、破壊しつくされているのが良くわかります | ここをドラゴンレール大船渡線が走っていました | TV で何度も放送された岩手県立高田病院 | |||
言葉を失います |
少し移動すると、鉄筋コンクリート造り建物はいくつか残っていましたが、外形が残っているだけです。
お話を伺うと、復興支援のために生きているコンビニやガソリンスタンド等を利用して、少しでもいいので現地にお金を落としていってほしいそうです。
コンビニで昼飯とデザート、水を買って、ほんの少しですが復興協力してきました。
さて肝心のボランティアですが、まずは避難所となっているモリビアです。ここは元々オートキャンプ場だったのですが、高台に位置していたので津波の被害を受けずに済んだところです。
キャンプ場なので広い土地がありますし、施設も広く整っているので避難所として使われており、オーナーが土地を提供されたので仮設住宅も建設されています。
大半の方が肉親や親しい方を亡くしたり、いまだ行方不明になっている方ばかりなのですが、皆さん明るくて被災されている方であることを忘れてしまいそうでした。
お茶をたてているのが珍しいのか、ビデオ撮影をされていた方がいらっしゃいましたが、お話を伺うと、津波でビデオカメラが流されて被災後に購入されたそうです。
こんな話を聞くと、先ほど見てきたばかりの津波の惨状にいきなり引き戻されてしまいます。
皆さんに喜んでいただけた様なので、行って良かったです。
モリビアを後にして、一路災害ボランティアセンターへ移動開始
先ほどみなさんの笑顔を見た後だと、被災地の惨状が余計に悲しく見えます
ボランティアツアーのバスが来ています | どこを見ても瓦礫 | ||||
赤いリボンが... | 瓦礫を運び出す船 | 壊れかけた防波堤とグシャグシャになっている車 | |||
壊れて無くなった防波堤 | 松が2本生きていますが、そのそばにある家は土台だけ | うわっ、土台も流されている | |||
競技場跡 | 散乱する車 | 竹駒駅 |
災害ボランティアセンターに入る前に、朝休憩に寄った川の駅で一休みして、復興支援の一環で色々物買ってきました。立ち去る前にお店の方に頑張って下さいと声をかけると、とても嬉しそうに「はいっ! ありがとうございます」と言っていただけました。
その後ボランティアセンターに行き、支援のスタッフの方々にもお茶を楽しんでいただきました。
災害ボランティアセンター到着 | 立派な看板だな | 手作り感満載 | |||
資材置き場と控室 | 野点? | スタッフの方々 | |||
励ましの言葉が壁や天井いっぱいに | |||||
受付 ひっきりなしにボランティアの問い合わせがかかってきているようです |
ボランティアの必需品 | 温かい言葉がぎっしりと | |||
お茶おいしいですか? | ボランティアの方向けに着替えも準備してありました | 希望の松をトレードマークに | |||
お茶とお菓子は行きわたりましたか? |
ボランティアセンターでのラストミッションをクリアすると、あとは帰るだけです。瓦礫の海を抜けるとそこは日常の姿になっていました。
帰りの東北道は、台風北上の影響もあって土砂降り。行と同じ要領で運転手ローテーションしながらひたすら南下していきます。
関東に近づくころにはすっかり日も暮れ、土砂降りの中の夜間走行。
崩壊した鉄橋 | どこまでも続く瓦礫の海 | ||||
一関インターから東北道に入って最初の休憩 15:58 |
安達太良 18:13 |
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PA にある茶屋 暇そうw |
安達太良の牛 | 佐野SAで最後の休憩とと晩飯 20:30 |
この後集合宅に到着して資材を降ろして解散。そこから自宅まで1.5時間くらいかかって無事帰宅しました。
かなりの体力を消耗しましたが、行って良かったです。
もし、これをご覧になって、現地の復興支援には協力したいけど、ボランティアはちょっとと思われている方がいらっしゃいましたら、物見遊山でも構わないので現地の惨状を自分の目で見てきてください。TV
とかでやっているものとは全く別物です。
そして、現地のコンビニやガソリンスタンドでお金を落としていただけるだけでも復興支援になります。
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